ハワイアンフェスティバル開催まであと3日♪
2017.08.24(木)
アロハ♪昨日は、ハワイの概略ビーチおよびサーフィンなどのアクティビティをご紹介しました。
今日は、ハワイの歴史についてご紹介いたします。
ハワイの歴史
ハワイ州は1959年に米国50番目の州となりましたが、ハワイの歴史は数世紀も前にさかのぼります。約1,500年前にマルケサス諸島のポリネシア人がビッグ・アイランド(ハワイ島)に最初に上陸。星の明かりだけを頼りにカヌーで3,200km以上を航海してハワイ諸島にやってきました。
500年後にタヒチから移住者が来て、神や半神半人の信仰を持ち込み、カプ(タブー)による厳格な社会階層を導入しました。ハワイ文化は数世紀にわたり隆盛を極め、フラという芸術、サーフィンというスポーツが生まれました。しかし、政治的には酋長による土地分割の争いが一般的でした。
1778年、キャプテン・クックがカウアイ島ワイメア湾に上陸。サンドイッチ伯爵にちなんで諸島を「サンドイッチ諸島」と名付けたクックは西洋との扉を開きましたが、上陸からわずか1年後、ビッグ・アイランド(ハワイ島)のケアラケクア湾で殺害されました。
1791年、ノース・コハラで生まれたカメハメハがビッグ・アイランド(ハワイ島)の敵対勢力を統一し、さらにハワイ諸島全域を1810年に統一して1つの王国としました。
1819年、カメハメハ大王の死後1年も経たないうちに、息子のリホリホがカプを廃止します。
1820年、最初のプロテスタント宣教師がビッグ・アイランド(ハワイ島)にやって来て布教活動を展開し、カプの終焉後に失われていた価値観を新たなものにしました。ハワイは船乗り、貿易商、捕鯨漁民の港となり、捕鯨産業はマウイ島のラハイナ港で栄えました。発展期には、西洋から入ってきた病気でハワイ先住民の多くの命が失われました。西洋の影響は引き続き拡大、1893年にハワイの経済をほぼ支配していた米国からの入植者がハワイ王国を平和的なクーデターで転覆。1898年、ハワイは米国の属領となりました。
20世紀には、砂糖とパイナップル農園がハワイ経済を牽引し、日本人、中国人、フィリピン人、ポルトガル人の移民が押し寄せました。ジェームス・ドールの事業の成功でラナイ島は世界でも有数の輸出用パイナップルの産地となり、「パイナップル島」として有名になりました。このように移民の人種がさまざまだったことから、ハワイの今日の人口構成は非常に多様なものとなっています。
1941年12月7日、日本はオアフ島のパール・ハーバーを奇襲攻撃。4年後の1945年9月2日、現在もパール・ハーバーに置かれているUSSミズーリ船上で日本が無条件降伏に署名し、第二次世界大戦が終戦を迎えました。
1959年、ハワイは米国50番目の州になりました。今日、ハワイ州は「アロハ・ステート」とも呼ばれ、世界中からたくさんの人がアロハ・スピリットを体験しに訪れます。太陽や海のほか、ハワイの豊かな文化に触れると、旅行がもっと楽しくなるはずです。
ハワイの英雄
カメハメハ大王、デューク・カハナモク、聖ダミアンは、聖マリアンヌ・コープ, ハワイの歴史上で大活躍した英雄です。その偉業を記念して、ハワイには3人の銅像が建てられています。
デューク・カハナモクは抜群の水泳能力を持ち、1900年代初期にオリンピックでメダルを5つ獲得しました。また、初めてオアフ島を訪れる人にサーフィンやカヌーを教えるワイキキ・ビーチ・ボーイズの初代メンバーでもありました。
後に、デュークはサーフィンやアロハの精神を世界に広めることに貢献。デュークの銅像は賑やかなカラカウア通りの向かい、クヒオ・ビーチで腕を広げてワイキキへの訪問者を歓迎しています。
カメハメハはビッグ・アイランド(ハワイ島)のノース・コハラで生まれました。カメハメハは西洋の影響が強くなる中、1810年にハワイ諸島を1つの王国に統一。戦士としての伝説的な強さと破壊力は、外交的手腕とハワイの人々への愛に移り変わりました。
カメハメハ大王の銅像は4体あります。最も有名なものは、オアフ島のホノルル・ダウンタウンのアリオラニ・ハレ正面(イオラニ宮殿向かい)にあります。2 つ目は生誕地の近く、ビッグ・アイランド(ハワイ島)のノース・コハラ・シビックセンターの前、3つ目はビッグ・アイランド(ハワイ島)、ヒロのワイロア川州立公園、4つ目はワシントン DC の国立彫像ホールに置かれています。
○聖ダミアン
ベルギーの司祭、ダミアン神父がモロカイ島にやってきたのは1873年のことです。伝染性のハンセン病にかかった島民は、人里離れたカラウパパ半島に隔離されました。16年間無私無欲でカラウパパの人々の面倒を見てきたダミアン神父もまた病に倒れてしまいます。献身的な活動に貢献したダミアン神父には聖人の称号が与えられ、2009年10月にローマで正式に認められました。
ダミアン神父の銅像は3体あります。オアフ島、ホノルル・ダウンタウンの州議会議事堂前、モロカイ島の聖ジョゼフ教会前、そしてワシントンDCの国立彫像ホールの3ヶ所にそれぞれ置かれています。
聖マリアンヌ・コープは、ハワイでハンセン病に苦しむ人々のために献身的な活動をしたダミアン神父の信念を継ぎ、生涯を捧げた聖職者の一人です。修道会の管区長に選出された聖マリアンヌ・コープは、ニューヨーク州シラキュースにある聖フランシス病院で運営責任者としての才能を発揮していました。1883年、カラカウア王の要望に応え、彼女と修道女達がハワイへやってきました。翌年、オアフ島のカカアコにある病院の運営に携わり、同年マウイ島にマルラニ病院を設立。1885年には、モロカイ島のカラウパパに強制収容させられた、ハンセン病の両親から離れて暮らす少女たちのためにカピオラニ・ホームを設立しました。1888年、ダミアン神父の死の数ヶ月前にカラウパパへ渡り、ダミアン神父の事業を受け継いだだけではなく、彼女ならではの多くの改革を興しました。2012年10月21日、聖マリアンヌ・コープは聖人と認められました。ホノルルのケワロ湾が見渡せる場所に、彼女の銅像が建てられています。
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ハワイについて、もっと知りたい方はハワイ州観光局公式ウェブサイトへどうぞ(こちらをクリックするとハワイ州観光局公式ウェブサイトにつながります)
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